2024年12月4日
門司 健次郎
「伝統的酒造り」のユネスコ無形文化遺産登録の好機をとらえ、如何に日本の酒類の魅力を伝えていくかが重要です。その際の参考となるよう、ユネスコや無形文化遺産制度、無形文化遺産の実例等について簡潔にご紹介したいと思います。私が昨年集英社新書から上梓した『日本酒外交 酒サムライ外交官、世界を行く』では、無形文化遺産に1つの章25ページを割きましたが、ここでは簡単なポイントのみに留めます。
1.ユネスコとは
ユネスコ(UNESCO)は、国連教育科学文化機関の英文の頭文字をとったものです。第2次世界大戦直後、1946年に平和を希求して設立された国連の専門機関です。ユネスコ章前文の冒頭文「戦争は人心の中に生まれるものであるので、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」がそれを示しています。教育、科学、文化はそのための手段なのです。
2.日本は大のユネスコ・ファン
ユネスコは、日本が戦後初めて加盟を認められた国際機関です。1951年のことで、日本の国連加盟の5年も前です。ユネスコ加盟は、「戦争を起こした日本が平和国家に生まれ変わって国際社会に復帰する」との象徴的意味を有していたのです。世界最初の民間のユネスコ協会は、1947年の仙台ユネスコ協会でした。
3.無形文化遺産制度の成り立ち
無形文化遺産への関心の高まりの契機となったのが1970年のサイモンとガーファンクルによる「コンドルは飛んでいく」のヒットです。アンデス地方の民謡をベースにしたこの作品は世界的にヒットしましたが、元の民謡を伝承してきたアンデスの人々には何の利益ももたらしませんでした。そこで1973年にボリビアが民俗伝承の保護をユネスコに求めたのです。これを受けて様々な取組みが追求されましたが、大きな進展はありませんでした。
そのような状況で90年代に無形文化遺産保護の動きを活発化させたのが日本です。その背景としては、①日本は1950年代から有形と無形の双方の文化財を保護してきたこと、②日本はこの経験から1993年にユネスコに無形文化遺産保護日本信託基金を設置したこと、③ユネスコの世界遺産は、長く存続する石の文化である欧州に圧倒的に偏在しており、その是正が必ずしも進まない中、アジア、中東、アフリカ、中南米などには、舞踏、音楽、祭り、演劇、陶芸、木工など各国、地域、人々の誇る豊かな無形文化遺産があるとの認識が高まったこと、そして、④グローバリゼーションや社会の変化の中で絶滅の危機にある無形文化遺産も多かったこと、の4点が挙げられます。
日本が推進した無形文化遺産保護条約は、有形の文化遺産中心の考えの欧米の強い反対にも拘わらず、アジアやアフリカの国々の支持で2003年に採択されました。2024年11月現在、締約国は183ヶ国にまで増えています。
4.無形文化遺産保護条約の内容
条約の目的は、無形文化遺産の保護・尊重と国際的な協力・援助です。条約の下で、無形文化遺産の代表一覧表と緊急保護一覧表の2つの一覧表に加え、保護活動の模範例の登録簿が設けられています。
無形文化遺産は多種多様な物を含んでいます。そのため条約上の無形文化遺産の定義は抽象的な表現になっています。例として次の5つの分野を挙げており、そちらの方が分かりやすいでしょう。(a)口承による伝統及び表現、 (b)芸能、 (c)社会的慣習、儀式及び祭礼行事、 (d)自然及び万物に関する知識及び慣習、 (e)伝統工芸技術。
私なりのポイントを挙げる次のとおりです。
第1に、社会・集団・個人が自己の文化遺産の一部として認めるものであることです。世界遺産は「顕著な普遍的価値」を有する最上級の遺産ですが、無形文化遺産の間では価値の優劣は付けません。
第2に、世代間で伝承され、社会・集団の環境、自然、歴史に対応して絶えず再現されるものなので、変化を前提としていることです。世界遺産のように歴史的に変わらない本物であることは求められていません。
第3に、社会・集団に同一性と継続性の認識を与え、文化の多様性と人類の創造性への尊重を助長するものであることです。
5.登録の手順
登録のためには毎年3月末までにユネスコへ提案書を提出し、評価機関による評価を経て政府間委員会で審議・決定されます。毎年の審査案件数に上限(現在は60件)があり、既に登録数の多い日本は実質隔年の審査となっています。
我が国では、書道、茶道、俳句、和服、温泉文化、長良川の鵜飼、神楽(拡張登録)なども登録を目指しています。
6.無形文化遺産の具体例
無形文化遺産の具体例を見てみましょう。今次委員会はまだ終了していませんので、2023年11月現在の数字です。無形文化遺産の数は、2つの一覧表と1つの登録簿で730件であり、日本については、能楽、歌舞伎、雅楽などの芸能、結城紬、和紙などの工芸、山・鉾・屋台行事、来訪神などの祭礼、和食など22件(酒造りは含めない)を数えます。この数は中国、トルコ、フランス等に次ぎ世界第7位です。
が国の例から、無形文化遺産には伝統文化が多いと思われがちですが、その範囲は遙かに広く、世界では「こんなものが?!」と日本人の多くが驚くような案件も登録されています。少し挙げると、フラメンコ、タンゴ、ヨガ、タイマッサージ、サウナ、香水、鷹狩り、海女文化、らくだレース、雪崩リスク管理、機械式時計作り、そして中国の古琴、書道、切り絵、影絵、鍼灸術、京劇、太極拳、珠算、などです。我々に馴染みのあるものも結構含まれています。
7.食文化の人気
最近注目されているのが食文化の分野です。まず2010年にフランス人の美食、地中海の食事、メキシコの伝統料理が登録され、2013年に和食が続きました。2024年11月現在45件を超えています。他に、韓国のキムチ、ナポリのピッツア、トルコ・コーヒー、フランスのバゲットなどが挙げられます。便宜上略称を用いましたが、料理や飲物自体が文化遺産になる訳ではなく、無形文化遺産の定義と分野に合致する必要があります。アルコール類は、古代ジョージアの伝統的ワイン製法、ベルギーのビール文化、モンゴルの馬乳酒製造の伝統技術、キューバのライト・ラムのマスターの知識、セルビアの伝統的プラム酒スリヴォヴィツア、そして伝統的酒造りの6件です。